今後のブログの使い方について ― 2012/01/19
先日は、突然 Twitterのアカウントを停止して、ご迷惑をおかけしました。
「公式ブログのログを見やすくしておきたい」という方針は今後も変えたくないので、刊行と直接関係のない情報・刊行途上で出てくる些細なミニ情報は、すべて、こちら(別館 NN2)へ投げます。
メインのブログのほうには、「雑記更新」の告知と、記事タイトルのみを挙げ、こちらへのリンクを貼ります。「消える近況報告」は「雑記更新」と一本化されます。メインのブログでの告知は毎回消えていきますが、ログ自体は、こちらに蓄積されていく仕組みです。
記事は、こちらのカテゴリでは「雑記更新」に分類されます。過去ログを読むには、このカテゴリを選択して下さい。
コメントをつける機能はありません。トラックバックは可能。
なお、RSS配信ではなく Twitterで更新情報を受け取りたい方のために、ブログの更新をお知らせするアカウントを新設しました。自動配信なので更新情報しかツイートしません。伝言がある方は @付きメッセージを飛ばして頂ければ拝読いたします。ただし、Twitter上では応答いたしません。メッセージの内容によっては、こちらで紹介し、こちらで返答させて頂く場合もございます。
https://twitter.com/#!/us_notice
それでは、今後ともよろしくお願い致します。
「公式ブログのログを見やすくしておきたい」という方針は今後も変えたくないので、刊行と直接関係のない情報・刊行途上で出てくる些細なミニ情報は、すべて、こちら(別館 NN2)へ投げます。
メインのブログのほうには、「雑記更新」の告知と、記事タイトルのみを挙げ、こちらへのリンクを貼ります。「消える近況報告」は「雑記更新」と一本化されます。メインのブログでの告知は毎回消えていきますが、ログ自体は、こちらに蓄積されていく仕組みです。
記事は、こちらのカテゴリでは「雑記更新」に分類されます。過去ログを読むには、このカテゴリを選択して下さい。
コメントをつける機能はありません。トラックバックは可能。
なお、RSS配信ではなく Twitterで更新情報を受け取りたい方のために、ブログの更新をお知らせするアカウントを新設しました。自動配信なので更新情報しかツイートしません。伝言がある方は @付きメッセージを飛ばして頂ければ拝読いたします。ただし、Twitter上では応答いたしません。メッセージの内容によっては、こちらで紹介し、こちらで返答させて頂く場合もございます。
https://twitter.com/#!/us_notice
それでは、今後ともよろしくお願い致します。
今後の方針に関して ― 2012/01/18
ばたばたっと Twitterを閉めたので、いろいろと手続きが混乱しております。
諸々検討中ですが、中間報告をあげておきます。
●フォロワーさんからの報告で、アカウントを閉めると「フォロワーが "お気に入り" (Favorite)に入れていたログも一緒に見えなくなってしまう」ことを知りました。で、アカウントを戻してログ保存の期間を告知しようとしたのですが(Twitterは「退会しても30日間はサーバにログが残っている」ので、再アクセスやアカウントの復活が可能です)なぜか、アクセスのたびにフォロワー数が変わります。すべての方にメッセージを読んで頂くことが、すでに出来ない状態になっているようです。
なので、"お気に入り"(Favorite)に関しては、"ふぁぼったー"で読んで頂くのが一番よいかと思います。自分が "お気に入り"に入れていた以外のログも表示されてしまいますが、twilogから探すよりも手間がかかりませんので。
下記のアドレスです。
http://favotter.net/user/Ued_S
●雑記のみを「別館NN2」へ移すことを考えていますが、もう少し整理のための時間を頂ければ幸いです。
それに伴って、もし使い勝手がよいのであれば、「ブログの更新を通知するためだけの専用アカウント」をtwitterに作ることも考えています。ただ、これは面倒ならあきらめます。
以上、よろしくお願い致します。
諸々検討中ですが、中間報告をあげておきます。
●フォロワーさんからの報告で、アカウントを閉めると「フォロワーが "お気に入り" (Favorite)に入れていたログも一緒に見えなくなってしまう」ことを知りました。で、アカウントを戻してログ保存の期間を告知しようとしたのですが(Twitterは「退会しても30日間はサーバにログが残っている」ので、再アクセスやアカウントの復活が可能です)なぜか、アクセスのたびにフォロワー数が変わります。すべての方にメッセージを読んで頂くことが、すでに出来ない状態になっているようです。
なので、"お気に入り"(Favorite)に関しては、"ふぁぼったー"で読んで頂くのが一番よいかと思います。自分が "お気に入り"に入れていた以外のログも表示されてしまいますが、twilogから探すよりも手間がかかりませんので。
下記のアドレスです。
http://favotter.net/user/Ued_S
●雑記のみを「別館NN2」へ移すことを考えていますが、もう少し整理のための時間を頂ければ幸いです。
それに伴って、もし使い勝手がよいのであれば、「ブログの更新を通知するためだけの専用アカウント」をtwitterに作ることも考えています。ただ、これは面倒ならあきらめます。
以上、よろしくお願い致します。
【告知】Twitter、Google+、ブログの運用に関して ― 2012/01/15
昨晩、事情がありまして、Twitterのアカウントを閉めることにしました。それにともなって、Google+の使い方も変更することにしました。このあたりの事情を、あらためてご説明させて頂きます。情報が重複してしまう方には、大変、申し訳ありません。何卒、ご容赦下さいますよう、よろしくお願い致します。
私がTwitterの利用を始めたのは、「公式ブログには決定事項のみを載せる」「途中でぱらぱらと出てくる細かい情報は、Twitterで速報のような形で流す」ためでした。ブログのように新刊情報と雑記が混ざってしまう形式だと、初めてブログを訪問した方が一番大事な情報を見つけにくいので、メディアによって使い分けていました。
(勿論、記事をカテゴリで分ける方法があることは知っていますが、ぱっと見で、いつも最新の出版情報が見られるようにしておきたかったのです)
私はGoogle+の「一般公開」記事は、外部から誰でも読めるものだと思っていました。Googleの検索でも引っかかりますし、そういう形で、他の方のログも読んだことがあります。なので、Twitterの字数制限(140字)を超えてしまう長文は、Google+で「一般公開」設定にし、Twitterの記事内でリンクをはる形で運用しようと考えていました。
ところが、この「一般公開」記事が、アクセス方法によっては、まったく読めないらしいのです。現在わかっている「読めない環境」は、iPod touch+Safariという組み合わせです。他にもあるかもしれません。しかし、こちらで、そのすべての「読めない環境」を把握するのは不可能です。かといって、一部の記事を、読み手の意志ではなく、機器の種類によって読めない状態に置いてしまうことには抵抗があります。
そこで、今後は、このような形での運用に変えます。
●Google+で「一般公開」の記事を書くこと自体をやめます。
これにともなって、情報発信元を、私の公式ブログ(http://ueda8.blog25.fc2.com/)(総合トップページは http://www.jali.or.jp/club/kanzaki/s/)に一元化することに決めました。どういうレイアウトで行うかは未定です。
●すべてを一ヶ所で管理するため、これまで書いてきた Google+のログも非公開と致します。
●Google+のシステムが変わって便利な使い方ができるようになったら、利用を復活させるかもしれません。このあたりを考慮して、Google+のアカウント自体は残しておきます。
大変ややこしいことになって恐縮ですが、以上、よろしくお願い致します。
私がTwitterの利用を始めたのは、「公式ブログには決定事項のみを載せる」「途中でぱらぱらと出てくる細かい情報は、Twitterで速報のような形で流す」ためでした。ブログのように新刊情報と雑記が混ざってしまう形式だと、初めてブログを訪問した方が一番大事な情報を見つけにくいので、メディアによって使い分けていました。
(勿論、記事をカテゴリで分ける方法があることは知っていますが、ぱっと見で、いつも最新の出版情報が見られるようにしておきたかったのです)
私はGoogle+の「一般公開」記事は、外部から誰でも読めるものだと思っていました。Googleの検索でも引っかかりますし、そういう形で、他の方のログも読んだことがあります。なので、Twitterの字数制限(140字)を超えてしまう長文は、Google+で「一般公開」設定にし、Twitterの記事内でリンクをはる形で運用しようと考えていました。
ところが、この「一般公開」記事が、アクセス方法によっては、まったく読めないらしいのです。現在わかっている「読めない環境」は、iPod touch+Safariという組み合わせです。他にもあるかもしれません。しかし、こちらで、そのすべての「読めない環境」を把握するのは不可能です。かといって、一部の記事を、読み手の意志ではなく、機器の種類によって読めない状態に置いてしまうことには抵抗があります。
そこで、今後は、このような形での運用に変えます。
●Google+で「一般公開」の記事を書くこと自体をやめます。
これにともなって、情報発信元を、私の公式ブログ(http://ueda8.blog25.fc2.com/)(総合トップページは http://www.jali.or.jp/club/kanzaki/s/)に一元化することに決めました。どういうレイアウトで行うかは未定です。
●すべてを一ヶ所で管理するため、これまで書いてきた Google+のログも非公開と致します。
●Google+のシステムが変わって便利な使い方ができるようになったら、利用を復活させるかもしれません。このあたりを考慮して、Google+のアカウント自体は残しておきます。
大変ややこしいことになって恐縮ですが、以上、よろしくお願い致します。
小松左京追悼トーク「巨星、宇宙に逝く」大阪編 ― 2011/09/21
9月19日、大阪の難波「紅鶴」で、小松左京さんの追悼トークが行われました。出演者は、堀晃さん、かんべむさしさん、山本弘さん、私の4名です。当日の様子は ustream で公開されていますが、最後のほう、私の発言が途中で切れている……という話を聞きましたので、こちらで概要をまとめておきます。記憶だよりで書いているので、当日の言葉づかいとは少し違うところはご容赦下さい。
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小松さんが亡くなったことで、何かを失ったような気持ちや、心にぽっかりと穴があいたような気持ちになっている方は多いと思います。そういう中で、「小松作品を継承するにはどうすればいいんだろう」という話が出てきて、実際、私も、あちこちでぽつぽつと耳にしているんですが――。
私は、小松作品を継承するというのは、小松さんが書いたものと同じものを書くという意味ではないと思うんです。
小松さんは自分の作品を通して非常に大きな問いかけをした方で、もちろん、それに対する小松さん自身の答えは作品の中に書かれているわけですが、その問いは簡単には答えの出ない問いであって、小松さんは、そういう「答えのない大きな問い」を問い続けた人だった。
だから、その問いに対して答えを返すことが、小松作品を継承するということじゃないのだろうか。
伝統芸能のように師匠がたったひとりの弟子に託すという、そういう形のものではなくて、作品を読んだすべての人間が、その問いに対する答えを求められているのではないか。
そして、私たちが返すその答えは、答えであると同時に、次の世代へ向けての問いでもあると思うのです。私たちが問いに答えたように、次の世代は、その問いに対してまた答えていく――。そうやってずっと受け継がれていくことが、小松作品を継承することではないのか。
その答えというのは、人によってそれぞれ違っているはずです。
もしかしたら、小松さんが望んでいたものとは、全然、違うものかもしれない。
あるいは、どんぴしゃのものかもしれない。
でも、そのすべてに、等しく価値がある。
私が望むのは、その答えがすべて等価に扱われることです。
これが正しい、これは正しくないといって、枝葉を払うようなことはして欲しくない。
小松さんは、可能性や多様性ということをとても大切にした方だった。作品の中で、それを繰り返し語っている。
(つみとられた可能性が反逆するというタイプの話を、いくつも書いている。たとえば「地には平和を」「結晶星団」のように)
そして、答えを返すというのは作家だけがやることではなく、作品を読んだすべての読者がやっていいことだと思うのです。作家には作家の、読者には読者の「答えの返し方」がある。
私は、自分がどう書けば小松さんからの問いに答えたことになるのか、いまはまだ全然わからないのですが、そういうことをごにょごにょと考えながら、これからもやっていこうと思うわけです。
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以上です。
(#あとから思い出したことがあったので、その部分をちょっと足しました。9/21/14:47)
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小松さんが亡くなったことで、何かを失ったような気持ちや、心にぽっかりと穴があいたような気持ちになっている方は多いと思います。そういう中で、「小松作品を継承するにはどうすればいいんだろう」という話が出てきて、実際、私も、あちこちでぽつぽつと耳にしているんですが――。
私は、小松作品を継承するというのは、小松さんが書いたものと同じものを書くという意味ではないと思うんです。
小松さんは自分の作品を通して非常に大きな問いかけをした方で、もちろん、それに対する小松さん自身の答えは作品の中に書かれているわけですが、その問いは簡単には答えの出ない問いであって、小松さんは、そういう「答えのない大きな問い」を問い続けた人だった。
だから、その問いに対して答えを返すことが、小松作品を継承するということじゃないのだろうか。
伝統芸能のように師匠がたったひとりの弟子に託すという、そういう形のものではなくて、作品を読んだすべての人間が、その問いに対する答えを求められているのではないか。
そして、私たちが返すその答えは、答えであると同時に、次の世代へ向けての問いでもあると思うのです。私たちが問いに答えたように、次の世代は、その問いに対してまた答えていく――。そうやってずっと受け継がれていくことが、小松作品を継承することではないのか。
その答えというのは、人によってそれぞれ違っているはずです。
もしかしたら、小松さんが望んでいたものとは、全然、違うものかもしれない。
あるいは、どんぴしゃのものかもしれない。
でも、そのすべてに、等しく価値がある。
私が望むのは、その答えがすべて等価に扱われることです。
これが正しい、これは正しくないといって、枝葉を払うようなことはして欲しくない。
小松さんは、可能性や多様性ということをとても大切にした方だった。作品の中で、それを繰り返し語っている。
(つみとられた可能性が反逆するというタイプの話を、いくつも書いている。たとえば「地には平和を」「結晶星団」のように)
そして、答えを返すというのは作家だけがやることではなく、作品を読んだすべての読者がやっていいことだと思うのです。作家には作家の、読者には読者の「答えの返し方」がある。
私は、自分がどう書けば小松さんからの問いに答えたことになるのか、いまはまだ全然わからないのですが、そういうことをごにょごにょと考えながら、これからもやっていこうと思うわけです。
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以上です。
(#あとから思い出したことがあったので、その部分をちょっと足しました。9/21/14:47)