小松左京追悼トーク「巨星、宇宙に逝く」大阪編2011/09/21

 9月19日、大阪の難波「紅鶴」で、小松左京さんの追悼トークが行われました。出演者は、堀晃さん、かんべむさしさん、山本弘さん、私の4名です。当日の様子は ustream で公開されていますが、最後のほう、私の発言が途中で切れている……という話を聞きましたので、こちらで概要をまとめておきます。記憶だよりで書いているので、当日の言葉づかいとは少し違うところはご容赦下さい。

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 小松さんが亡くなったことで、何かを失ったような気持ちや、心にぽっかりと穴があいたような気持ちになっている方は多いと思います。そういう中で、「小松作品を継承するにはどうすればいいんだろう」という話が出てきて、実際、私も、あちこちでぽつぽつと耳にしているんですが――。

 私は、小松作品を継承するというのは、小松さんが書いたものと同じものを書くという意味ではないと思うんです。

 小松さんは自分の作品を通して非常に大きな問いかけをした方で、もちろん、それに対する小松さん自身の答えは作品の中に書かれているわけですが、その問いは簡単には答えの出ない問いであって、小松さんは、そういう「答えのない大きな問い」を問い続けた人だった。

 だから、その問いに対して答えを返すことが、小松作品を継承するということじゃないのだろうか。
 伝統芸能のように師匠がたったひとりの弟子に託すという、そういう形のものではなくて、作品を読んだすべての人間が、その問いに対する答えを求められているのではないか。

 そして、私たちが返すその答えは、答えであると同時に、次の世代へ向けての問いでもあると思うのです。私たちが問いに答えたように、次の世代は、その問いに対してまた答えていく――。そうやってずっと受け継がれていくことが、小松作品を継承することではないのか。

 その答えというのは、人によってそれぞれ違っているはずです。
 もしかしたら、小松さんが望んでいたものとは、全然、違うものかもしれない。
 あるいは、どんぴしゃのものかもしれない。
 でも、そのすべてに、等しく価値がある。

 私が望むのは、その答えがすべて等価に扱われることです。
 これが正しい、これは正しくないといって、枝葉を払うようなことはして欲しくない。
 小松さんは、可能性や多様性ということをとても大切にした方だった。作品の中で、それを繰り返し語っている。
(つみとられた可能性が反逆するというタイプの話を、いくつも書いている。たとえば「地には平和を」「結晶星団」のように)

 そして、答えを返すというのは作家だけがやることではなく、作品を読んだすべての読者がやっていいことだと思うのです。作家には作家の、読者には読者の「答えの返し方」がある。
 私は、自分がどう書けば小松さんからの問いに答えたことになるのか、いまはまだ全然わからないのですが、そういうことをごにょごにょと考えながら、これからもやっていこうと思うわけです。

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以上です。
(#あとから思い出したことがあったので、その部分をちょっと足しました。9/21/14:47)